湖底に沈んだ渡来人の村

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 
 東京都(当時は東京市)の水がめとして建設された山口貯水池=狭山湖、村山貯水池=多摩湖の湖底には、古来から住んでいた人たちの村々が沈んでいます。
 
多摩湖の昔
 
 その中でも「勝楽寺村」高句麗系渡来人の末裔の村と目され、「日本書紀」にも登場する高句麗渡来人、高麗王若光により奈良時代に拓かれた埼玉県日高市には、若光を祀る「高麗神社」と菩提寺である「高麗山聖天院勝楽寺」があります。
 
高麗神社HP
 
聖天院HP
 
 東海道七ヶ国から武蔵国に入植した1799人の高句麗人の一部は、現在の狭山湖の湖底に当たる地にも入植し、 高麗王若光を弔う「勝楽寺」を同地に分寺したので、それが村の名前になったと考えられます。
 


勝楽寺
「故郷・所沢散歩」 – より

 
 武蔵国(多摩地区)に高句麗渡来人が入植した痕跡は古墳から確認され、かつ、南多摩の狛江市は高麗(コマ)の当て字であることや、調布市の国領もコクリョ=高句麗の当て字であるという、「地名」からも裏付けられます。
 
亀塚古墳 – 狛江市HP
 


亀塚古墳
「古墳なう」 – より

 
 人造湖の湖底に沈んでしまった村の住人たちは近隣の村々に移住することになりますが、渡来人の末裔であることを理由に差別された記録・形跡は見られず、みな先々でその土地のコミュニティーに溶け込み同化したようです。

 日高市のある埼玉県入間郡の南に位置する東京都瑞穂町の「瑞穂町史」によると、「勝楽寺」のフルネームは「王辰爾山仏蔵院勝楽寺大坊」であり、土地の人は「大坊」と呼んでいたとのコト。(「瑞穂町史」P.12

 また、「新編武蔵風土記稿」によると「王辰爾」は百済渡来人の子孫であり、寺の名前からすると「若光」の菩提を弔うと同時に「王辰爾」の菩提をも弔う、高句麗と百済の共通の寺であったと考えられます。
 
新編武蔵風土記稿 – Wikipedia
 
 半島では覇権を争っていた百済と高句麗と新羅ですが、東国に移住した渡来人たちは、武蔵国ではひとまず平和的に共存し、その土地を開拓したようです。
 
東 国 – Wikipedia 
 
 狭山丘陵を挟んで「勝楽寺村」の南側に位置する武蔵村山市には「デエダラボッチ」の民話が伝えられていますが、一説に、「デエダラボッチ」とは関東一円を住処とした高句麗渡来人を指しているらしく、また、先の「勝楽寺」の別名「大坊」を「江戸弁」で発音すると「デエ坊」になることから、「デエ坊」が「デエダラボッチ」の語源では?と想像が広がります。
 


多摩湖北岸に置かれたデエダラボッチ像

 
 で、多摩湖ひとつを取り上げてもコレだけの歴史(物語)があり、何が言いたいかというと…

自分が今ここに存在する理由

…を知ることは、他人が捏造した「物語」に騙されないために有益だというコト。

 そして「命」の連鎖を理解すれば、人生はより深みを増すのではないか?というコト。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 
余談:

勝楽寺村の屯集騒動~江戸の空白期~
「幕末多摩・ひがしやまと」 – より
 
 

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