的外れの邪馬台国論

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 
 先日、BS-TBSの「諸説あり!」という番組で「邪馬台国スペシャル」なるものを視たのですが…

相変わらずでんなw!
 


「諸説あり!」

 
 邪馬台国九州説、および畿内説をそれぞれ検証するのはイイとして、九州説の根拠のひとつともされる「金印」には…

漢委奴国王

…と彫られているワケでしょ?なんでソレが邪馬台国と繋がるワケ?邪馬台国は奴国の後継国だとでも?
 

建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。
建武中元二年(57年),倭の「奴国」が朝賀の奉貢,使人は「大夫」を自称,倭の国は南界の極みなり。

光武賜以印綬。
光武帝は印綬を賜う。

『後漢書』 – 巻八十五 東夷列伝第七十五

 


“漢委奴國王”

 
 「金印」と「邪馬台国」とは分けて考えるのが妥当でしょ?卑弥呼が「魏」から金印(親魏倭王)を賜わったとされるより約200年も前の話ですしw。
 

景初二年六月,倭女王遣大夫難升米等詣郡,求詣天子朝獻,太守劉夏遣吏將送詣京都。
景初二年(237年)六月,倭の女王は大夫の難升米らを遣わせ(帯方)郡を詣で,天子(曹叡)への朝献詣でを求める,太守の劉夏は官吏と将を遣わせ、京都(洛陽)詣でを護送。

其年十二月,詔書報倭女王曰:
その年の十二月,倭の女王に報いる詔書に曰く:

「…今以汝爲親魏倭王,假金印紫綬,裝封付帶方太守假授汝。…」
「…今を以って汝を親魏倭王とする,仮の金印紫綬を,装封し帯方太守に付託し汝に仮授する。…」

『三国志』 – 巻三十(魏書) 倭人条

 
 ちなみに、「奴国は南界の極み」という一節からは奴国=沖縄が連想されるワケですが、ならば金印がなんで志賀島で発見されたのか?が気になるトコロ。
 


『邪馬台国は沖縄だった!』
木村 政昭 (著)

 
 ま、それはそれとして、『三国志』の魏志倭人伝のみを拠りどころに邪馬台国を論じる人もいますが、文献を比較することで情報の精度を高めようとは思わないんですかね?

 ザッと見ただけでも、『後漢書』、『宋書』、『南齊書』、『晉書』、『梁書』、『隋書』、『北史』、『南史』、『旧唐書』、『新唐書』などに倭の国および邪馬台国の記述があり、これらをすべて比較した上で邪馬台国や卑弥呼を論じるならまだしも、『三国志』のみを取り上げて論じるのは学問的にも不備がありますw。
 
中国史料に見る倭人(倭、倭国)
 
 で、ワタシとしては…

邪馬台国とは、大陸から渡来した中国難民のコミュニティーのこと

…だという仮説を立て、その大小に差はあっても各地に散在していたという考えに基づき…

邪馬台国はひとつではなかった

…というのが現在の持論であり、目下検証中w。

 中国側の史書にしても、同じような記述が繰り返し見られる部分と、その時々の時代で書き加えられた部分があり、当時の政治状況(国際情勢)にも目を向ける必要がありますw。

 それにしても…

「金印(漢委奴国王)」と「邪馬台国」を並べて論じるの、イイカゲン止めません?
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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