「鼠」の移動

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 
 最近、「大乗仏教」「キリスト教」関係が気になっているワタシですが、ブッチャケ…

「大乗仏教」は、オリジナル仏教と「キリスト教」の習合

…というのが、今のところの見解。

 おそらくガンダーラ地方仏教とギリシャ・ローマ文化が出会うワケですが、その際にキリスト教の「教義」が仏教に持ち込まれ誕生したのが「大乗仏教」だというコト。
 

 
 京都の広隆寺に伝わる「十善戒」と、モーセがシナイ山でYHVH(神)から授かった「十戒」の類似性はわりと広く?知られるトコロ。
 

広隆寺の「十善戒」 モーセの「十戒」
不殺生 (殺さない) 殺人をしてはいけない
不偸盗 (盗まない) 盗んではいけない
不邪淫 (邪淫しない) 姦淫をしてはいけない
不妄語 (嘘をつかない) 偽証してはいけない
不慳貪 (欲張らない) 隣人の家をむさぼってはいけない
不両舌 (二枚舌を使わない) ヤハウェが唯一の神である
不綺語 (お世辞を言わない) 神の名を徒らに取り上げてはならない
不瞋恚 (怒らない) 安息日を守る
不悪口 (悪口を言わない ) 父母を敬う
不邪見 (不正な考えをしない)
※偶像崇拝の禁止
偶像を作ってはならない

秦氏の末裔 渡来人秦氏と広隆寺の関係 – より
 
 
 「欽明天皇」13年(552年)が「仏教公伝」の年とされていますが、それ以前にも司馬達等(渡来人)によって「私的」に信仰されていたようで、587年に「丁未の乱」が起こり「廃仏派」の物部氏が排除されるワケですが、「崇仏派」の蘇我氏側にはあの厩戸皇子(聖徳太子)が。
 
丁未の乱 – Wikipedia
 
 厩戸皇子の「ブレーン」とされる秦河勝広隆寺を創建するのは「丁未の乱」から16年後の603年。

 一方、「唐」へのキリスト教(ネストリウス派)の公伝が635年ですから、広隆寺の「十善戒」=モーセの「十戒」だとすると、「唐」に「景教」が伝わるより先に日本にキリスト教が伝わったことになります。

 ま、それはそれとして、ポイントは厩戸皇子「崇仏派」だというコトで、仏教とキリスト教的「暗示」が重なっているという点。

 仏教は「大乗仏教」「小乗仏教」に大きく分けられますが、それぞれ「北伝仏教」「南伝仏教」と呼ばれています。
 


「北伝仏教」と「南伝仏教」

 
 「仏教公伝」の北伝ルートからするとガンダーラ地方を経由しているらしく、つ・ま・り…

途中で「キリスト教」の影響を受けた可能性は十分にある!

…というコト。したがって仏教が日本に公伝された552年の時点で…

既に「キリスト教」と習合していた

…とも考えられるワケです。であれば?厩戸皇子というイエス・キリストを暗示するような名前にも納得。

 話は替わって、『西遊記』で知られる三蔵法師(玄奘三蔵)は629年に仏教の「原典」を求めて天竺(インド)へ旅立つワケですが、三蔵法師をそこまで駆り立てたのは、仏教のなかに違和感(キリスト教的なもの)を感じたからではないか?そこで「原典」を確認するためにインドに向かったのではないかと?
 


玄奘三蔵 – Wikipedia

 
 『日本書紀』にもインド僧が度々日本に渡来していることが書かれているので、「南伝仏教」(小乗仏教)も伝わってはいたのでしょうが、時の朝廷は「北伝仏教」を採用したようですw。
 

倭国に仏教を伝えたのは誰か
古賀達也

(2) 糸島郡『雷山縁起』の証言

…「欽明」以前の仏教伝来は「雷山」だけではなく、例えば「那智山」の裸行上人もインドから「景行天皇」の時代に来たし、こうした例は日本各地にあるのだと言っているのです。これなどは「多元的仏教伝来説」とも言うべきものでしょう。こうして見ると江戸時代の人々の方がはるかに自由な歴史観を持っていたようにさえ思われます。やはり同縁起は、仏教が戊午の年に当地に伝来したという伝承が記された貴重な文書のようです。しかも伝えた僧侶の名前や系図まで残っていたのですから。

 なお付け加えますと、同縁起・法系霊簿(福岡県立図書館所蔵本コピー版による)の余白部分には異筆により次のような書き込みがあります。

「妄加言」『雷山縁起』阿育上塔縁起第二の上余白部分)
「妄言」『雷山縁起』 一夜出現伽藍縁起第四の上余白部分)
「右偽妄面皮イカホドアツキヤ 仏ボサツノ照覧ヲ不慴ヤ」(『雷山縁起』跋文余白部分)
「ヒラメニ云ヘシ 大ウソ ヨフモ書ツツケタルヤ(以下五字不明)」(『雷山千如寺如法系霊簿』上余白部分)

 これらの「落書」が示すように、同縁起の内容が読者(時代不明)にとって「妄言」と映っているのです。しかしこの「読者」の判断とは逆に、私には同縁起が偽作ではなく、誇脹や修飾が加わってはいるものの通説とは異なった古代の真実を伝えている、という心証をこれらの「落書」から感じる…

 
 で、表題の「鼠の大移動」ですが、「鼠」とはキリスト教徒のコト。
 

「漢和辞典」にある「部首」 (09)

 「子」は「こ」であり、「ねづみ」で、「シ」、「ネ」…「こねづみ(庫鼠)は、しね(死ね)」なのだが、「鼠」はいつも『古事記』、その物語の「火の中」で「主人公」の「大国主」や「ヤマトタケル」を助けてくれるのだ。しかも、『日本書記』では「蘇我入鹿」が惨殺され、雨に晒された死体を「席障子(むしろしとみ)で覆われた」のだ。父親の「蝦夷」は「火の中」で滅び、助かったモノは『国記』(くにつふみ=九貳津文=句似 『都府』 診=句似柘 『富美』=『句』 似柘『践』み)」である。しかも、「鼠」は『日本書紀』の「大海部皇子」と重なる「古人大兄皇子」が「蘇我氏」に諭す言葉でもあり、「鼠の移動」は「遷都」の暗示でもあった。「鼠(ねずみ)」の「音」は 「ソ」でもある。
 
 「ネズミ」が「リス=木鼠(き・ね・ず・み=記・音・素・診)」ならば…「移鼠」は、「イエス・クリスト」の「当て字」であった…まったく「当て字」で「漢字の謎解き遊び」である。
 
 とにかく、「移鼠」は「イエス・クリスト」のことなのだ…これは唐代に勢いを得た「移鼠」(景教=ネストリウス派)の碑文にある漢字である。

 
 『日本書紀』には「鼠」が関わる物語が散見されますが、そのなかで興味を引かれたのが「孝徳天皇」条に書かれた「鼠」の記述。
 

九月、遣小德高向博士黑麻呂於新羅而使貢質。遂罷任那之調(黑麻呂、更名玄理)。是月、天皇、御蝦蟇行宮(或本云、離宮)。是歳、越國之鼠、晝夜相連、向東移去。
 
『日本書紀』 第25巻 孝徳天皇

 
 「孝徳天皇」2年(597年)9月、「越国」(福井)の「鼠」が東方に移動したというコトは、「キリスト教徒」が東方に移動したというコトの暗示であり、移動した先は?となると…
 

戸来という民族

2016年6月20日
 
…に繋がるかも?という話。
 
鼠とは蝦夷または蛮人 – Wikipedia
 
 今回はこれにてw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!