牛頭天王の旅

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 
 牛頭天王=ナラム・シン大王というのがワタシの持論なワケですが、もしまだ誰も言及していないなら論文のひとつでも書きますかねw。

 ま、それはアレとしてこれまでの話を整理すると、牛頭天王はスサノオと混同されることが多いワケですが、牛頭天王は天竺(インド)の祇園精舎の守護神で、一方のスサノオは高天原から新羅に降臨したとされているので、両者とも外来の神仏であることに異論はないかと。
 

一書曰、素戔嗚尊所行無状、故諸神、科以千座置戸而遂逐之。是時素戔嗚尊帥其子五十猛神降到於新羅國居曾尸茂梨之處。乃興言曰「此地、吾不欲居。」遂以埴土作舟、乘之東渡、到出雲國簸川上所在、鳥上之峯。

『日本書紀』 第一巻(神代上) – より

 
 一書(「日本書紀」以前の史書)によると、スサノオは子の五十猛神を率いて新羅の曾尸茂梨(ソシモリ)という処に降りたものの、何が気に入らなかったのか「土」で船を作り海を渡って出雲に上陸したと。

 また、奈良時代に書かれたと思われる『備後国風土記逸文』によるとスサノオ=武塔神とされ、平安時代末期に書かれた『伊呂波字類抄』によると武塔神=牛頭天王であり、天竺(インド)の北にある「九相国」の吉祥園の城主だとか。
 
武塔神 – Wikipedia
 
 スサノオ=武塔神=牛頭天王だというコトは何となく分かりましたが、牛頭天王の故郷である「九相国」とは?となると…

「九相国」=「貴霜国」=「クシャーナ朝」

…だろうと察しがつきます。
 

クシャーナ朝 – Wikipedia

 
 クシャーナ朝は仏教を手厚く保護したそうですが、文化的にはギリシャ・ローマの影響下にあったことが残された碑文や彫刻から伺えます。
 
ガンダーラ美術 – Wikipedia
 
 「仏教」と「キリスト教」はガンダーラ=クシャーナ朝で習合して「大乗仏教」になり、それが「北伝ルート」を経て日本に伝わった(538年)可能性が高く、そして「大乗仏教」を広めるコトで国を治めようとした勢力のなかに…

厩戸皇子

…がいたという話になるワケですが、今回は割愛します。
 

仏教公伝 – Wikipedia


 
 牛頭天王の話に戻ると、ワタシがその「原型」と考えるナラム・シン大王は紀元前2100年頃(今から4000年以上前)の人物で、紀元前300年頃…すなわちアレキサンダー大王がイケイケだった頃には既に伝説上の偉人として神格化されていても不思議ではありません。そのアレキサンダー大王にしても数々の伝説が残されている次第。

 アレキサンダー大王は別名「スーサの王」とも呼ばれ、「スーサ」とは大王の遠征軍が侵略したペルシャの都市。

 で、先のクシャーナ朝のあったバクトリアはアケメネス朝ペルシャの支配下にあり、アレキサンダー大王の遠征軍はアケメネス朝ペルシャを倒すと(紀元前330年)その領土であったバクトリアに進出し、アレキサンダー大王の没後(紀元前323年)バクトリアに残留していた部隊はグレコ・バクトリア王朝を築き、同地域にギリシャ文化が根付くコトになります。
 
ギリシア人と仏教 – Wikipedia
 
 ナラム・シン大王の伝説をバクトリアに持ち込んだのはペルシャ人なのか?それともギリシャ人なのか?はハッキリしませんが、いずれにせよ伝説に尾ひれが付いて…

牛頭天王

…へと姿を変えたコトはほぼ確実と思われますw。
 

牛頭天王ことナラム・シン大王

 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 
追記:

ガンダーラの不思議
「mysteryhunterのblog」 – より
 
 

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