文明開化のまつり囃子

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 西多摩、北多摩および埼玉県南部=狭山丘陵の南北地域に広く伝承されている重松流囃子は、幕末から明治にかけて所沢在住の藍染職人、古谷重松によって目黒流囃子をベースに始められた流派で、重松は藍染に使う榊の灰を求め、あきる野市(旧五日市市)まで、行商ついでに行き来していたとか。つまり重松の足跡が重松流囃子の伝承地域と重なるワケですw。
 
重松流祭囃子
 
 重松流囃子の特徴のひとつは、西洋の楽曲のように「四小節」で楽曲が構成されている=モダンだということです。重松自身は府中の大国魂神社で目黒流囃子を習得したそうですが、そこにモダンな要素をつけ加えるアイデアはどこから得たのか?と想像するに、行商で訪れていた旧五日市市が連想されます。

 すでに周知のコトとは思いますが、明治の国体を決める憲法の草案のひとつ「五日市憲法草案」は、市井の人たちの民主主義への情熱を反映したものであり、草案をつくる素養がすでにあったというコト。
 

【宮内庁】 皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)
 

 
…明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。…

 
 「大日本帝国憲法」の公布が明治22年で、五日市憲法草案の作成は、起草者である千葉卓三郎が死去する明治16年以前であるのは確か。卓三郎が旧五日市市に校長として赴任するのが明治13年ですから、重松が彼の地で民主主義の洗礼を受けたとしたら明治13年以降と考えられ、したがって重松流囃子のはじまりも同時期という話。
 
千葉卓三郎 – Wikipedia
 
 重末流囃子の別な特徴としては、「決まった型が無い」というのが挙げられます。もちろん基本的な型はありますが、盛り上がってきたら即興的な演奏をしてもOKで…というか?「チラシ」と呼ばれ、一人前と一目置かれるようになります。

 ジッサイのところ?古谷重松が民権運動の影響を受けたかどうか定かではありません。しかし、重松流囃子には民主主義精神の反映が伺え、少なくとも重松から囃子の手ほどきを受けた若者たちは…

新しい時代の幕開け=文明開化

…に意気揚々としてハズ。
 

…近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。…

【宮内庁】 皇后陛下お誕生日に際し(平成25年) – より

 
 「伝統文化」が云々…と、やたら「権威」を振りかざしたり、「型」にはめて保存したがる人が多いようですが、大切なのは…

保存することよりも伝承すること

…だと思うワケで、その点では「創作」に精力的に取り組んでいる「歌舞伎」などは、先人の思いを伝承する数少ない伝統文化だと思う次第w。

歌舞伎講演総合サイト 歌舞伎美人
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!