ルソン助左衛門と千利休

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 ルソン助左衛門も千利休も豊臣秀吉に仕えた戦国時代の人物ですが、ひょっとして…

同一人物では?

 最近知ったのですが、ルソン助左衛門は「魚屋助左衛門(ちや すけざえもん)」という別名を名乗っていたそうで、「魚屋」といえば、千利休の生家は「魚屋」という屋号の商家であったとか?
 
呂宋助左衛門 – Wikipedia
 
千利休 – Wikipedia
 
 しかも、「魚屋」を「ち・や」と読むのであれば、「ち」は「千」に通じます。すなわち、千利休の「千」は「魚」の異字とも考えられるワケです。

 ちなみに、千利休が秀吉に切腹を命じられた原因は、利休が「隠れキリシタン」だったから…という説があります。
 
キリスト教の茶の湯への影響
 
 ハッキリしているのは、ルソン助左衛門や千利休が拠点としていた貿易港の堺は、貿易相手国であるポルトガルなどからキリスト教が伝えられ、多くの商人がその商売の利便性を考えてクリスチャンになっていたというコト。

 で、キリスト教のシンボルといえば「魚」ですw。
 


日本キリスト教会 米子伝道所

 
 ということは魚屋=教会?という話にもなり、ルソン助左衛門にも千利休にも「キリスト教」の印が見られるワケですw。しかも?ルソン助左衛門も千利休も商人であり、このふたりが別名の同一人物という可能性は拭いきれません。

 千利休は秀吉に切腹を命じられて果てるワケですが、一方のルソン助左衛門は忽然と消息を絶ち、そこからもルソン助左衛門=千利休という疑いが濃くなります。

 とはいっても?ルソン助左衛門が日本を脱出したのが1598年で、千利休の切腹(1591年)の7年後とされているので、文献(記録)上では同一人物とは考えられないワケですがw。

 ところで、足利幕府の御用人だった「阿弥衆」は、「同朋衆」とも呼ばれ仏教とはあまり関係の無い芸能集団だったらしく、千利休の先祖も「同朋衆」だったコトを踏まえると…

同朋衆=クリスチャン

…という線も浮かび上がり、そこから「阿弥衆」の「阿弥」は、クリスチャンの祈りの言葉「アーメン」に当て字したのでは?とも連想されますw。

 ルソン助左衛門=千利休というワタシの妄想はアレとして、おそらく確かなのは両人ともクリスチャンだったというコトと、それ故に秀吉の逆鱗に触れたのかも?なんせ秀吉がキリシタンを弾圧した理由のひとつは、キリシタン大名による南蛮(ポルトガル)との日本人奴隷貿易だったワケですからw。
 
奴隷日本人秘話
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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