政治的道義と人間的道義

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 不倫疑惑で騒がれている立憲民主党の山尾議員が、党を離れるかもしれないというニュース。
 

【ライブドアニュース】不倫疑惑再燃で「デメリットばかり」と総スカン 山尾氏は立憲民主党の「お荷物」に
ZAKZAK(夕刊フジ) 018年4月7日 17時1分

 立憲民主党の山尾志桜里衆院議員(43)が同党の「お荷物」になりつつある。昨年末の入党後、安倍晋三政権追及の急先鋒(せんぽう)となることを期待されたが、政策顧問の倉持麟太郎弁護士(35)との不倫疑惑が再燃し、「山尾氏を抱えることにデメリットしかない」と総スカンを食らっているのだ。倉持氏の元妻は、山尾氏への慰謝料請求訴訟の準備を進めており、展開次第で離党の可能性を指摘する識者もいる。

 「山尾氏は、もう『賞味期限切れ』だろう。なぜ執行部は、疑惑がくすぶっている段階で迎え入れたのか。今では党の大半の議員が、山尾氏に近づこうともしない」

 立憲民主党関係者は、夕刊フジの取材に、あきれた様子でこう答えた。

 山尾氏は昨年9月、週刊文春に倉持氏との密会を報じられ、「男女の関係」を否定しながらも民進党を離党した。同年10月の衆院選に無所属で当選後、立憲民主党の衆院会派に入り、同年12月下旬に入党を認められた。

 不倫疑惑は先週、倉持氏の元妻、A子さんが週刊文春に《山尾さんのせいで、全てを失った》との手記を寄せ、再燃したが、山尾氏の党内での立場はすでに孤立化に向かっていたという。

 原因の1つは、山尾氏が1月ごろからアピールしていた「立憲的改憲」というスタンスだ。前出の党関係者が言う。

 「立憲的改憲は、日本が行使できる自衛権を『個別的自衛権』に限定する方向で、憲法を変えるという主張だ。枝野幸男代表は、安全保障法制を維持したままの改憲に否定的だ。漫画家の小林よしのり氏や、倉持氏と一緒に(立憲的改憲に)前のめりな姿も不評だった。山尾氏は執行部から注意され、持論を封印せざるを得なくなった」

 さらに、テレビ中継された2月22日の衆院予算委員会での質問も、あつれきを生んだという。

 「希望者が殺到するなか、山尾氏に30分も与えた執行部への不満が噴出し、辻元清美国対委員長が『結果を出させる』と収拾に走らされた。ところが、山尾氏は待機児童問題や憲法改正ばかり質問し、旬の議題だった裁量労働制は不発だった」

 今回のA子さんの手記から、山尾氏が、倉持氏の家庭を壊す一因となったことは間違いなさそうだ。党関係者は「もはや、子育て政策も説得力を持たない。存在意義が問われる」と手厳しい。

 A子さんが訴訟に踏み切れば、党のイメージダウンや政党支持率の低下に直結する。山尾氏は、A子さんの告発に、沈黙を続けているが、今後の展開をどうみるか。

 政治評論家の伊藤達美氏は「これまで世論の関心は、財務省の決裁文書改竄(かいざん)問題にあった。一段落して、山尾氏の不倫疑惑への批判が高まれば、党員資格停止や離党に追い込まれる可能性もある」と話している。

 
 「略奪愛」?に身を殉じるのであれば、全てを投げ捨てて駆け落ちするくらいの覚悟は欲しかったわw。

仕事も恋愛も両方GET♪

…は、そうそう通用しないでしょ?「スジ」が通りませんw。

 政治的能力があれば個人的倫理感は問わない(フランス流)という擁護論も見受けられますが、この論からすると、人間的道義と政治的道義は別だという話になります。しかしながら、現在日本において起きている様々な政治的問題…身内への利益誘導や杜撰な公文書の取り扱い…などが何に起因するのかといえば…

人間的道義の欠如

…に他なりません。というコトは?

人間的道義を蔑ろにする者が政治に係わるとロクなことはない!

…というコトになり、現実的にそれが目の前に「実例」としてあるワケですw。

 「キレイごと」ばかりでは政治はできない…とよく言われますが、まったくその通り。人間そのものが「清濁」併せ持つワケですから、政治が「清濁」併せ持つのは必定。

 そ・こ・で、重要なのは各個人が内包する「清濁」の度合いであり、ワタシとしては、ほとんどの人は「清」>>>>>「濁」だと認識していますし、だからこそ多少の問題はあっても、社会は崩壊せずに済んでいるのではないかと?

 「清濁」を別な言葉に置き換えると…

理性とエゴ

…に相当し、個人の幸福追求(エゴ)は「憲法」でも認められている次第。ただし、「公共の福祉」に反しない限り。
 

第13条

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 
 「公共の福祉」を「公共の利益(公益)」に書き換えようというのが自民党の改憲草案なワケですが、「福祉」と「利益」は似て異なります。「福祉」は一義的に経済とは切り離して論じるものであり、「あるべき福祉」の姿と、それを実現するための経済的裏付けとは別問題であるのに対して、「公益」という表現は「福祉」と「経済」を混同するもで、「経済(カネ)」が「福祉」に大きな影響を及ぼすようにもなります。

 一例?をあげると、法人(企業)への課税を軽減すれば企業利益は増え、経済発展により手厚い福祉が実現できるらしいのですが、果たしてそうなったのか?

 細かい事はアレとして、その答えはみなさんご承知の通りw。

 経済発展(実質)してるならまだしも、国民ひとりひとりの収入は減少傾向にあり、連動して「税収」も減少し「福祉関連予算」は削られる一方

 逆に、経済発展は後回しにして法人(企業)にもそれなりに課税するとか、公務員(政治家および官吏)への歳出(官房機密費とか?)を調整するなりして、「福祉関連予算」を確保する手立てもあるワケです。

 話を戻すと、国民ひとりひとりの幸福追求=エゴを調整するのが政治(国政)の役割なワケですから、本質的に政治が常に「濁」の部分を含んでいるのは当然といえば当然。そしてその「濁」=「エゴ」の調整弁が、「公共の福祉」という「合意」

 で、この「合意」が何に基づくのかといえば、「基本的人権の享有」が保障されるという前提。
 

第11条

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 
 「憲法」をアレコレ論じるつもりはありませんが、成り行き上もう少し続けると、「基本的人権」とは「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」でもあり、国としてそれを保障するからこそ国民は…

税金を納める

…ことに、吝かではないという話。
 

第25条

1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 
 
 ザックリ言うと、「人間的道義」が日本国憲法の根底にある…というのがワタシの憲法解釈で、したがって…

「人間的道義」の欠落した者に「政治」は任せられない!

…という話。それが誰であろうと…。

 「政治的道義」と「人間的道義」を分けて語る論客なんて、ワタシからすれば詐欺師ですw。
 


スピノザと反原発

 
 言葉足らずですが、長くなるのでこれにて。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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