和開同珎

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 ハフの記事で、「和同開珎」の「珎」の読み方論争を知り、少し引っ掛かった次第。
 
和同開珎って何と読む? 発行から1310年、学会を2分した「珍宝論争」の行方は…
ハフィントンポスト 安藤健二 2018年08月29日 17時46分 JST | 更新 1時間前
 
 「和同開珎」は、中国で流通していた「開元通宝」を模して造られたワケで、先ずはその予備知識から。
 

開元通宝 – Wikipedia
 

名 称

この銭貨の読み方は「上・下・右・左」の順である対読では「開元通寳」となり、「上・右・下・左」である廻読では「開通元寳」となり、どちらであっても意味が通じるため、古くからこの2説が並行し、論争の的となり、現在でも結論は出ていない。

唐代の開元26年(738年)に出版された『唐六典』には「武徳中、悉く五銖を除き、再ためて開通元寳を鋳る」と記述しており 一方で詔勅文としては『旧唐書』の中で「仍令天下置鑪之処並鋳開元通寳銭」と記述している。唐代には「開元」という元号が存在するが、これは約100年後のことであり、これ以降に開元通寳と呼ばれるようになったという説も捨てきれない。

唐代の他の銅銭を見ると、史思明が作ったという「順天元宝・得一元宝」や8世紀後半の「大暦元宝」では「元宝」が、8世紀後半の「建中通宝」では「通宝」が使われている。唐代以降も「元宝」・「通宝」の両方の例がある。

 
 鋳造初期(621年~)は「開通元寳」だったそうですが、「詔勅文」に「開元通寳」と記されている(『旧唐書』)以上、帝の詔を捻じ曲げる=捏造するとは考え難いので、「開元通寳」が本来の読み方であると解され、したがって日本で鋳造された「和同開珎」も「上・下・右・左」の順で読み…

和開同珎

…と読むのが正解では?と。
 


和同開珎 – Wikipedia

 
 そのうえで、「珎」の字について考察するに、「珍」の異字(旧字)だというのが通説なワケですが、「珍」のピンインは「セン」で「銭」に通じます。

 そ・こ・で、「銭」の字を鋳造するのが面倒なのでその発音と大意を汲み、簡単な「珎」の字を当てたのではないかと?したがって正式名は…

和開銅銭

…ではないか?というのがワタシの仮説。

 で、埼玉県秩父地方で良質の銅が発掘されたことに因み、「和同開珎」の鋳銭が始まった(708年)とのコトですが、それにも疑問が…。
 
長登銅山 – Wikipedia
 
 朝廷があったらしい畿内から遠く離れた、いわば未開の地である秩父の銅をワザワザ使わなくても、近くに銅山はいくらでもあったろうにw。

 記録に残るトコロでは、秩父地方での鉱山採掘の歴史は武田信玄に始まるそうですから、せいぜい17世紀以降。「和同開珎」の銅が秩父産だとしたら、朝廷に一回献上しただけで、その後の銅山開発はなかったワケ?良質の銅なんでしょ?不自然だわw。

 ま、本当に秩父産の銅が使われたか否かは、「成分分析」をすれば一目瞭然なワケですが、その結果如何で『続日本紀』の内容および歴史が修正されるようでは…

困る人がいるんでしょうなw。
 

 
 ちなみに『旧唐書』には、「倭国」と「日本国」が併記されているワケですが、そうなると「和同開珎」を鋳銭したのは…

ドッチだったの?

…と、夜も眠れなく…。

 歴史的経緯としては、倭百連合軍が「白村江の戦い」で唐新連合軍に敗れたのが663年で、天智天皇が侵攻に備えて近江に遷都したのが667年。同年、朝鮮半島で新羅が半島を統一(668~900)すると、唐の半島への介入は頓挫し、楽浪・帯方郡から撤退。それと平行して、遣唐使の朝貢が困難になったのではないかと?

 新羅としては、日本(倭)に唐の拠点が築かれると挟み撃ちにされる危険があり、したがって唐と日本(倭)の関係構築を絶つ必要があるのは当然。それには海上封鎖の他にも、親新羅の朝廷が望ましいワケですw。
 
遣唐使 – Wikipedia
 
 天智天皇の後を継いだ弘文天皇は、天武天皇によるクーデター(672年)により追い落とされ、その後文武天皇の代まで、唐との公式な交流=遣唐使は約30年間中断されるワケですが、新羅による海上封鎖?に加え、唐では武則天が即位(690~705)して王朝を開闢したことも、遣唐使の中断の一因と思われます。

 その後の遣唐使の再開と「和同開珎」の鋳造が、ほぼ時を同じくする…という事実から導かれるのは…

和開同銭=和を(が)開いた記念の銅銭

…という解釈もアリだという仮説w。

新和同開珎の発行年について
花野 韶 平成15年2月20日(初) 平成15年6月15日(追記1)


新和同発行年の各説の比較一覧

 歴史学者の議論て、ナンか…

歴史の本筋からピントがズレてるわw。

 それが意図的なのかどうかはアレとして、「皇国史観」が拭いきれないのかもw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 
追記:

 良質の銅が採掘されたのを記念して「和同開珎」を鋳したとすると、銀銭はどうなるワケ?

和艮開珎

…とか?でもジッサイには、銀銭にも「和同開珎」の文字があしらわれているワケですから、文字と素材とは関係ないという話になります。つ・ま・り、重要なのは文字そのものの意味だと考えられるワケで、秩父で良質の銅が採れたから云々は、後からコジコジ…もとい、コジつけたというか…

作り話

…だというコト。そこでワタシの仮説…

和開同珎(銭)

…に拠るなら、縦書きの「和開」は、遣唐使の再開に因む文言であるとして、横書きの「同銭」は銅銭の意味ではなく…

同じ銭=共通貨幣

…の意味があるのではないか?であれば、「銅銭」と「銀銭」があっても不思議ではないし、いわば唐と日本(和)の間で使用可能な…

貿易通貨

…だった可能性も考えられますw。

 だからこそ、当時日本海の対岸に存在していた、渤海国(高句麗の後継国)の遺跡から「和同開珎」が見つかる理由も、貿易の決済に使用されたからだと推察されますし、渤海国が「和同開珎」を受け入れたのは、大国である唐の通貨保証みたいなものがあったからではないかと?
 
渤海 (国) – Wikipedia
 
 「和同開珎」が鋳造されたのは、遣唐使の再開により日本との貿易が再開した、中国の主導によるもの…という構図がワタシには見えてくるワケで、「和同開珎」…もとい、「和開同珎(銭)」という名前の由来も腑に落ちるという話w。
 
東アジア史のなかの和同開珎 – pdf
添田馨(詩人・批評家)
 
 
追記2:

  1. 「開元通寳」=通寳(通貨)の開元(元を開く)⇒基準通貨を制定する
  2. 「開通元寳」=元寳(基準通貨)を開通(流通させる)
    1.  どちらも大意は同じですが、「和同開珎」が共通通貨=貿易決済通貨だと仮定した場合…

      1. 「和同開珎」=和同(和の同種)の開珎(開元通寳)⇒和の銭と開元通寳は等価
      2. 「和開同珎」=和開(和の開元通寳)は同珎(同じ銭)⇒和製の開元通寳

      …と解され、これも読み方如何(上下左右、上右下左)によらず…

      同じ意味

      …になりますw。
       
       

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