「神代」と「人代」

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 「大和王朝」の成立前を「神代」、成立後を「人代」と区別しているのであって、神とは何の関係もありません。で、「大和王朝」の最初の王が神武であり、その皇位(天皇)が受け継がれているということは、現在でもまだ大和王朝は続いているというコト…でしょ?

ちょっと驚きだわw!

 いままで深く考えたこともなかったワケですが、基本的にはソーユーこと。

 大和王朝成立前にも、出雲王朝とか?九州王朝とか?吉備王朝とか?関東王朝とか?の各地の王朝が存在していて、大和王朝は武力や策略でそれらを制圧し、ゆるやかな?連邦体制は江戸時代末期まで続くワケです。

 なぜこうした「連邦制」が支配層に受け容れられたのか?フツーに考えると権力の頂点を目指すということは、完全なる支配の達成に行き着くハズ。しかし「連邦制」もしくは「共和制」だと「自治権」がある程度認められるようになり、「下克上」のような内部反乱(クーデター)の危険性は拭いきれません。

 そこでひとつ、興味深いデータとして日本の戦国時代

人口は1500万人から2500万人に増えた

…というのがあります。

 現代だと戦争が起こるたびに人口が減るのが当然のように思われていますが、戦国時代の戦争は「職業軍人」の殺し合いであり、「関が原の戦い」にしても、付近の農民は弁当を持って見物に行ったそうな。つ・ま・り…

支配層の潰し合い

…は庶民とって関知するトコロではなく、逆に?支配の空白は庶民に活気をもたらし、それが先の戦国時代における人口増加の理由ではないかと推察する次第。

 一方、支配層(武士階級)は支配層で…

こんなこと続けてたら自滅するw!

…と気付いたのか?反省したのか?危機感を持ったのか?お互いに棲み分ける=共和制を選び、余計な争いごとを起こさないために「天皇」の権威を必要としたのではないか?つ・ま・り…

武力闘争の歯止め

…として利用したというコト。

 こうしたヴィジョンをいち早く持ちえたのが豊臣秀吉や徳川家康だったワケで、260年以上に及ぶ徳川の治世はかく成ったという話w。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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