「神代」と「人代」 2

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 従来のワタシの見解からすると、皇位についた女帝は歴史の辻褄合わせであり、その実在が疑われるワケですが、最近考えを改めました

 『日本書紀』風にいうと、一に云う(一書に曰く)、上代の九州には女系社会(小国)が多く、平地で農耕をおこなう彼らは、狩猟を主な生活の糧としている先住民(熊襲)と小競り合いが絶えず、そこで朝鮮半島の豪族と同盟を結び、「用心棒」の役割を担ってもらった…と。

 九州に「女系社会」=女酋長が多かったことは、様々な文献に書き留められているので確かだろうと思われます。
 

…那珂博士は其『外交繹史』第二十八に『書紀』・『風土記』に見たる女酋の例を挙げたれば、左(下)に之を引用すべし。


筑紫ノ島ニハ女酋ヲ尊ブ習俗ノ有リシト見エテ、景行紀ニ云

「到周芳ノ娑麼(サバ)時、天皇南望之、詔群卿曰、於南方、煙氣多起、必賊將在、則留之、先遣多ノ臣ノ祖武諸木、國前ノ臣ノ祖兎名手、物部ノ君ノ祖夏花、令察其状、爰有女人曰神夏磯媛、其徒衆甚多、一國之魁帥也、聆天皇之使者至、則拔磯津山賢木、以上枝挂八握劍、中枝挂八咫ノ鏡、下枝挂八尺瓊、亦素幡樹于船舳、參向而啓之曰、願無下兵、我之屬類、必不有違者、今將歸徳矣云々」

周芳ノ娑麼(サバ)ハ、今ノ周防ノ國佐波郡ナリ。一國之魁帥也トハ、筑紫ノ國ノ中ニテ、一地ノ酋長タルヲ云フ。磯津山ハ、河田羆氏ノ西征地理考ニ「今ノ企救郡貫山、一名シハツ山是也」トアリ。又

「到速見邑、有女人、曰速津媛、爲一處之長、其聞天皇車駕、而自奉迎之云々」

速見ノ邑ハ、今ノ豐後ノ國速見ノ郡ナリ。速津媛ノ事ハ、『豐後ノ國風土記』速見ノ郡ノ條ニモ

「昔者纒向ノ日代ノ宮ニ御メシ宇天皇、欲誅玖磨贈、幸於筑紫、從周防ノ國佐婆ノ津發船而渡、泊於海部ノ郡宮浦時、於此村有女人、曰速津媛、爲其處之長、即聞天皇行幸、親自奉迎云々、因斯名曰速津媛ノ國、後人改曰速見ノ郡」

トアリ。

景行紀ニ又、

「天皇將向京、以巡狩筑紫國、始到夷守、是時於石瀬ノ河ノ邊、人衆聚集、於是天皇遙望之、詔左右曰、其集者何人也、若賊乎、乃遣兄夷守弟夷守二人令覩、乃弟夷守還來而諮之曰、諸縣ノ君泉媛、依献大御食而其族會之

夷守ハ、今ノ日向國西諸縣郡小林郷ナリ。

「到八女ノ縣、則越藤山、以南望粟岬、詔之曰、其山峯岫重疊、且美麗之甚、若神有其山乎、時水沼ノ縣主猨大海奏言、有女神、名曰八女津媛、常居山中、故八女ノ國之名、由此而起也」

八女ノ縣ハ今ノ筑後國上妻下妻二郡ナリ。藤山ハ、今ノ御前嶽ト云ヒテ、御井郡ト下妻郡トノ界ニアリ、水沼ノ縣ハ、今ノ筑後ノ國三潴郡ナリ。

『豐後風土記』日田ノ郡ノ條ニ

「昔者纒向日代宮御宇シ大足彦ノ天皇、征伐球磨贈ヲ於凱旋之時、發筑後ノ國生葉ノ行宮ヲ、幸於此郡ヲ、有神名曰津媛、化而爲人、參迎辨申國消息、因斯曰久津媛之郡、今謂日田郡者訛也」

上ノ津媛ノ上ニ、久ノ字落チタルカ、生葉ハ、景行紀ニ的邑(イクハムラ)トアリ、今ノ生葉ノ郡ナリ。日田ノ郡、今モ然云フ。

『肥前國風土記』松浦ノ郡賀周(カス)ノ里ノ條ニ

「昔者此里ニ、有土蜘蛛、名曰海松橿媛(ミルカシヒメ)、纒向ノ日代ノ宮ニ御宇シ天皇巡國之時、遣陪從(ミトモ)大屋田子(オホヤタコ)、誅滅云々、」

杵島ノ郡孃子ハヽコ山ノ條ニ

「同ジ天皇行幸イデマシ之時、土蜘蛛八十女(ヤソメ)、又有此ノ山ノ頂ニ、常ニ捍皇命ニ、不肯(アヘ)降服(マツロヒ)、於茲遣兵掩滅、因曰孃子山」

彼杵ノ郡浮穴郷ノ條ニ

「同ジ天皇在宇佐濱(ウサハマ)ノ行宮ニ、詔神代(カシロ)ノ直ニ、曰云々、即勅直遣此村、有土蜘蛛、名曰浮穴沫(ウキナワ)媛、捍ヒテ皇命甚無禮、即誅之、因曰浮穴郷」

神功紀

「轉至山門ノ縣、則誅田油津媛、時田油津媛ノ兄夏羽、興軍而迎來、然聞其妹被誅而逃之」

山門ノ縣ハ、今ノ筑後ノ國山門郡ナリ。ナド見エ、又『豐後風土記』日田郡五馬山ニ、土蜘蛛五馬媛、『肥前風土記』佐嘉ノ郡ニ、土蜘蛛大山田女狹山田女ナドモアリ。


 此等の例證によるときは、景行の朝より神功の代に亙りて、九州地方に女子にして君長たりしもの十二名あり。尚お之に卑彌呼及壹與を加うるときは十四名の多きに及ぶ。今日より之を見れば寧ろ奇異の感なくんばあらず。是れ固より当時の風習なるべけれども、何が故に斯る習が行われて、此の如く多数の女酋を輩出せしめたるか、これ大に考究すべき問題なり。…
 
 
白鳥庫吉 『倭女王卑彌呼考』 – より

 
 で、こうした女系国群の頂点に立つのが卑彌呼という話。

 「一に云う…」を続けると、女王国連合と同盟を結んだ朝鮮半島の豪族はやがて自分の国が欲しくなるワケですが、九州には女王国連合が既にあるのと、さすがに露骨な「裏切り」を憚ったのか(もともとは用心棒なので)?その目先というか矛先を本州に向けます。それが…

神武東征

…だという話。

 女王国連合と適度に?距離を置いた近畿の平野に腰を落ち着けた神武一行は、周辺の先住豪族を切り崩して勢力を拡大。そして更なる勢力拡大のために、言葉巧みに九州の女王国連合と対等の合併を画策するワケですが、おそらくその条件に王位の問題もあったハズで、女王国連合からも王を立てるという条件が盛り込まれたであろうことは想像に難くありません。

 となると、女皇の存在は当然(必然)であり、ワタシの見解は的外れ…orz

 『魏誌倭人伝』からは「女王が治める国」は卑彌呼が治める邪馬台国だけのように思い込みがちですが、さまざまな文献から多くの女酋長国=女王国があったと考えられ、卑彌呼亡き後に立てられた「男王」が総反発をくらったのも、他の女王国が反発したからと考えるのが自然w。

 そういえば?女性だけの会議の場にノコノコ出かけて行ったKYが最近いましたが…

歴史は繰り返す!

…と?

河野太郎外相、女性だらけの外相会合で写真撮影⇒「招かれざる客」などの声に「フェイクニュース」と応戦。何があった?
ハフィントンポスト 2018年09月27日
 

 
 で、やがて女王国連合は大和王朝(神武朝)に吸収されていくワケですが、現在でも女王国連合は皇室の儀式のなかにその権威を留める次第w。

 男系天皇、女系天皇の論争の本質(真相)も、案外?その辺りにあるのかもw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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