「赤ひげ」を視て

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 きょうの夕方、NHK(G)でドラマ「赤ひげ」(再)の最終回を視て感心しましたw。

 物語は、知的障害のある娘が身篭ったこどもをムリやり堕胎させようとする母親と、それに反抗する娘を軸に進むワケですが、実は娘の知的障害は毒親の魔の手から逃れるための狂言=お芝居で、見ず知らずの男のこどもを身篭ったのも、女郎屋に売られないための苦肉の策。

 で、物語の終盤で娘は自分は正常であることを毒親に白状し、その上で身売りされることを拒むワケですが、毒親は自分も親に酷い目にあったのだから、娘も同じような目に遭って当然だと激昂します。そこで赤ひげが…

不幸の連鎖を断ち切れ!

…と毒親を諭すのですが、不幸な過去を知った娘は毒親に代わり、自分が不幸の連鎖を断ち切ることを決意します。

 物語の傍流として、療養中の精神障害の娘の死が並行して描かれるワケですが…

何事にも終わりはある

…という赤ひげのひと言が、現在入院中の母に重なり胸に迫りましたw。

 しかし、終わりがあるから次の始まりがあるワケで、「死」におびえ、「死」を悲しんでばかりいるのは…

自然の摂理

…と正しく向き合っていないのではないか?と自省した次第。

 不幸の連鎖にしても、「昔はこうだった」「昔からこうだった」と、無批判に過去を踏襲するのが正しいのか?それは「終わらせる」べきものではないのか?という話で、「伝統」だとか「格式」だとか「慣例」だとか…

未来への足枷

…になっているものはないか、再検証してみる必要があるのでは?
 

 
 そしてもしそうであったとき、彼の娘のように自分が背負い込んでも…

自分の代で不幸の連鎖を断ち切る

…という覚悟を、現代のワタシたちが持てるか否かという話。

原発然り

米軍基地然り

政治然り
 

…そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。…
 
「戦争責任者の問題」 – より

 
 最後の最後に…

徒労の積み重ねの先に「希望」はある

…という研修医?の保本先生のナレーションが入りましたが、まるでガンジーの言葉のよう。

 より良い未来を次の世代(こどもたち)に残したいものですw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 

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