人の死は忌み嫌うものなのか?

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 高齢の親戚(97)が他界し葬儀に出席したワケですが、そこである出来事が…。

 母方の親戚の葬儀で、母が出席できない状態なのと、生前よくキンピラゴボウをおすそ分けしてもらった義理もあって、ワタシが代理で出席した次第。

 じつは先月末に父方の高齢の叔母(94)が他界し、その葬儀にも出席したのでこのところ火葬場で骨を拾う機会が重なりましたw。

 なんか、トシを取ると他人の骨を拾う機会が多くなり…

いずれ自分も

…と、感慨深いものがあります。

 で、今回起きた…というか?目にして驚いたのは、両親に連れられた小学生の、それも低学年の女の子が、母親にやめときなさいと言われたにも関わらず気丈にも…

平気だから

…と骨を拾ったコト。

 おそらく生前のおばあちゃんに甘え、また可愛がられていたであろうに、その当人が棺の中にあるうちはまだしも、焼かれてバラバラの骨のカケラになって目の前にあるという状況を、こども心にどう受け止め、感じたのか?

 日本では基本的に死は忌み嫌われ、母親もそうした忌むべきものから娘を遠ざけたかったのでしょうが、当の娘のほうが冷静に?死というものに向き合っていたのかも知れませんw。

 ワタシ自身、こどもの頃は死というものを忌諱していたように思うし、それがおとなの嗜みのような気がしていたワケですが、それもそうしたおとなたちを見て育ったからであって、件の少女が躊躇無く骨を拾ったというのは、死に対する意識の変化が潜在的に起きているというコトの顕れなのもw。

 『魏志倭人伝』の頃から死は悲しむものであり、かつ不浄のものとされていたようですから、日本人の文化的遺伝子(ミーム)としてそれが受け継がれてきたコトは確かです。

 それでも、多くの渡来民族の混血の結果として身体的遺伝子(DNA)が少しずつ変化してきたように、異文化との交流や社会状況の変化によって文化的遺伝子も進化?するワケで、死に対する受け止め方もその一環かと…。

 ワタシには件の少女が死というものをどう受け止めているのか?換言すると…

生というものをどう理解しているのか?

…を慮ることはできません。ただ彼女を見て思ったのは…

死は忌み嫌うものなのか?

…という素朴な疑問

 というのも、火葬場での待ち時間の間、疎遠であった親戚との親睦を深めたり、お互いの近況を話し合ったりと、それなりに有益な時間が過ごせたように思うワケで、してみると葬儀というもの…つまり人の死というものは…

人間関係の再構築

…の切欠のひとつであり、それの延長としてコミュニティーの再構築にもなるのではないか?と思った次第。

 最近は「家族葬」が流行らしくよく耳にするワケですが、それはそれでアリだとしても、先に述べたような視点からすると葬儀にはある種の社会的有用性があり、死してなお故人が社会のお役に立てるのだとしたら、ワタシという人間の…

本当に最後の仕事

…として、残された人たちの人間関係の潤滑油にでもなるのなら葬儀も悪くないと思った次第。

 で、死に対する意識の変化を件の少女に感じつつ、そうであるならば「葬儀」という言葉はもう古いのではないか?これからは…

送儀

…という言い方のほうがふさわしいのではないか?と、火葬場の中庭にある池の鯉をボンヤリと眺めながら思った次第。

 そもそも?他界する=他の世界へ行く…なワケだし、「送り人」なんて映画もあるくらいですからw。
 


おくりびと

 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!