曹操の鉄鏡

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 過去何度か日田の法恩寺山古墳および〈金銀錯嵌珠龍文鉄鏡〉に言及したワタシとしては、浮き足立たずにはいられませんw!
 

【朝日デジタル】 曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表
yahooニュース 9/8(日) 8:00配信


曹操高陵出土の鉄鏡。全面さびに覆われている=潘偉斌研究員の発表から

 中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155~220)。その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。

 中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。

 2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、貴石などもちりばめられていることがわかった。潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。

 金銀錯嵌珠龍文鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、考古学者の梅原末治によって1963年に報告された。翌64年に重文に指定されている。邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとみて、「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいた。(編集委員・宮代栄一)

 
 朝鮮半島の蔚山で出土した魏の時代の鼎(てい)の件も含め、中国、韓国、日本の合同チームで蔚山あたりを念入りに穿り返してみたほうがイイような気がします。おそらく邪馬台国や魏に関連した物が何かしら出土するハズw。

 とにかく、時の権力者によって分断、捏造された歴史を修復するためには証拠集めが肝要で、考古学分野関係者のいっそうの奮起と活躍が期待されますw。

 そのうえでジグソーパズルを組み立てるように、バラバラのピース(証拠)を丹念に当て嵌めていくしかないし、それが一番確実な歴史解明への道だと信じる次第。

 そういえば奈良の〈木簡〉の解析は進んでいるワケ?確か〈探検バクモン〉というNHKの番組で題材に取り上げた際、ペルシャ人が奈良の都に大勢いたらしいことが〈木簡〉から明らかになり、なかにはペルシャ人の顔の絵が描かれたものまであって、進行役のサヘル・ローズさんが同じペルシャ(イラン)人として感激していたのを覚えていますw。
 
超ブラックな勤務記録!? 生体認証のIDカード!? 木簡から読み解く驚きの奈良時代 #探検バクモン
togetter 2017年10月19日
 
あれからどうなったんだっ!?

…という話。

 ワタシの個人的な見解としては、奈良時代とは百済時代でもあり、百済が奈良および近畿一帯を制圧していたと考えているワケですが、肝心の百済とは如何なる国であったかというと…

ペルシャ人の国であった

…というのがワタシの見立て。

 今のところ確たる痕跡はこれといって見当たりませんが、ま、〈カン〉のようなものです…はい。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!

 
 
 
追記:

数学教えていた? 平城京にペルシャ人の役人 木簡に名前
AFPBB 2016年10月6日 12:49 発信地:東京 [ アジア・オセアニア 東京 ]

現在の奈良市に位置し、奈良時代の都、平城京の遺跡から1960年代に発掘された木簡(2016年10月5日撮影)。(c)AFP/Nara National Research Institute for Cultural Properties

 
【10月6日 AFP】奈良文化財研究所(Nara National Research Institute for Cultural Properties)は5日、現在の奈良市に位置し、1000年以上前の都、平城京の遺跡から発掘された木簡を改めて調査した結果、ペルシャ人の役人が働いていたことを示す新しい証拠が見つかったことを明らかにし、古代の日本が予想よりも国際色豊かだった可能性があると指摘した。

 日本と現在のイランの間の直接的な貿易関係は遅くとも7世紀に始まったことが知られているが、1960年代に発見された木簡を改めて調査したところ、さらに広範囲な交流が見えてきたという。

 古代の日本で紙の代わりとして使われていた木簡に書かれていた文字は、これまで判読不可能だったが、今回、赤外線を使って調査した結果、日本に住むペルシャ人の役人の名前とみられること分かった。

奈良文化財研究所の渡辺晃宏(Akihiro Watanabe)史料研究室長によると、このペルシャ人は日本の役人が教育を受ける施設で働いており、ペルシャが得意としていた数学を教えていた可能性があるという。

渡辺史料研究室長は、これまでの研究でペルシャとの交流は7世紀にも始まっていたとされているが、当時、遠いペルシャの国の人が日本で働いていたことが確認されたのは初めてで、奈良が国際色豊かで外国人も平等に扱われていたことを示すものと語った。(c)AFP

 
 〈ペルシャ人の役人〉という漠然とした内容ですが、高位の役人であれば即ち…

支配層側の人間

…であるということの証明であり、下級役人の教育機関(育成機関)に携わっていたという事実も、これを裏付けます。

 こうした〈不都合な事実〉を鑑みて発表を最近まで躊躇ったとするならば…

学問はイッタイ何のためにあるのか?誰のためにあるのか?

…という話。
 

「ササン朝ペルシアの血を受け継ぐ日本人女性」
ペルシャ絨毯共同組合HP – より

日本にはササン朝ペルシアの王族の血を受け継いでいる一人の女性がいます。彼女の名前は西沢裕子さんです。
80歳前後の西沢さんは家族の戸籍をもとに、自分はササン朝ペルシアの王族の血を受け継いでいると主張しています。
報道によると、西沢さんは自分をササン朝ペルシアの53代目の子孫だと言っています。
彼女は自分のルートに大変興味を持ち、それをなんとか探りたいと思っているようです。
そこで在日本イラン大使館に行き、自分のルート探しを手伝ってくれるペルシア人専門家が日本にいないか訪ねたこともあります。
大阪外語大学のペルシア人教授ラジャブザデ氏は、西沢さんについてマスコミにこう語っています。

「西沢さんの主張を証明する確かな方法はありません。しかし歴史的に見れば正しい主張である可能性が十分あります。」

作家でもある西沢さんは「ペルシアの末裔(すえ))という本の著者でもあります。
西沢さんはこの歴史的ロマンのある本を自らの祖先をモデルにして書きました。
 
 

《波斯の末裔》
西沢 裕子 (著)

 
元々日本とペルシアの関係や繋がりは大変古く、その繋がりは日本の飛鳥時代にさかのぼると言われています。
約1400年前、アラビアのイスラム勢力が世界に存在を見せるため、当時世界の大国だったペルシア帝国を侵略しました。
当時のペルシア王はササン朝のヤズゲルド三世でした。イスラム勢力の突然の攻撃によって、ペルシア軍は思うように抵抗できず、負けてしまいました。
その時、多くのペルシア人が国外に逃げました。その中にササン朝ペルシアの王子や王族たちもいました。そしてその一部は中国、さらに日本まで来たと言われています。
その証拠は奈良の正倉院にも残っています。
また、日本とイランの行事がいくつか似ていることも興味深いものです。
お正月前の大掃除、お年玉、お盆の行事、天皇家の菊花のシンボルマークとペルセポリスの壁画に残っているマークが似ていることなどたくさんあります。
これほど文化が似ていることや歴史的な繋がりを考えると、西沢さんの主張が妄想から来ているものだとは簡単に言えないでしょう。しかも彼女は自分の戸籍を証拠にこういう主張をしているのです。

 
 四国阿波の忌部氏の始祖である天日鷲神とペルシャの神プラヴァシ(フラワシ)が、同じような姿で描かれていることは以前にも書きましたが、これをもって忌部氏=ペルシャ人と決め付けることはできないにせよ…

ペルシャ・ヘゲモニー(文化)

…に感化されていたことは十分考えられますw。