姓は稗田、名は阿禮

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 《 古事記 》の序文を読み直してフト思ったのですが…

時有舍人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心

…という一節に、深い意味があるような…。
 
古事記 上卷 (原文)
 
 〈 拂耳勒心 〉が稗田阿禮に備わっているというコトは…

稗田阿禮は渡来人(帰化人)だった

…ようにワタシには思える次第。それもインド系もしくはイラン(ペルシャ)系の。

 ちなみにWikipediaには…
 

そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない

 
…と訳されていますが、〈 拂耳勒心 〉を〈 耳に触れたものは心に留めて忘れることはない 〉とするのは物凄い意訳ではなかろうか?誰が訳したものかは知りませんがこのまま歴史の教科書に載っているとしたらお笑いですw。

 ここはストレートに〈 仏の耳 〉〈 弥勒の心 〉とするのが妥当であって、ワタシ思うに〈 仏の耳 〉とはインド(サンスクリット)語を聞き取れることを意味し、〈 弥勒の心 〉とは弥勒=マイトレーヤへの信仰心…すなわちミトラ教の教義に通じているのではなかろうか?と。
 
ミトラ教 – Wikipedia
 
 そしてこのことから導かれるのは、稗田阿禮は渡来人もしくは直系の子孫ではないか?というコト。

 おなじみの八切氏の説によると、日本(倭国)には渡来人が持ち込んだ夥しい文字が既にあり、中央政権の地盤が固まり支配層の正当性(正統性)を権威づける《 古事記 》および《 日本書紀 》を編纂する段になって、被支配層側の歴史書との整合(統一性)を図るために謂わば〈 外国語 〉に通じた人間が必要とされ、そこで選ばれたのが若干(といっても当時は立派な成人)二十八才の稗田阿禮だったと。
 
《 古事記 》も初めは原住民史
八切止夫著 《 日本古代史入門 》 より
 
 奈良時代、多くの渡来人(ペルシャ人)が都にいたことは〈 木簡 〉にも記されていて、稗田阿禮もそのひとりの下級役人(舎人)であったと考えられ、インド経由のペルシャ人なのか、ペルシャ文化を吸収したインド人なのか、いずれにせよ仏教とミトラ教の見識があったというコトが…

拂耳勒心

…に暗示されているのではないかとw。

 例の〈 木簡 〉の整理と解読が進めば「稗田阿禮」の名が記された一片も発見されるような気がしますが、その時、もし不都合な史実が判明したとして、研究者の良心を貫き通せるのか?それとも従来の皇国史観に囚われ公表を控えるのか?というのが実に…

もどかしいw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!