ただ、少しづつ良くなれ

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 「緊急事態宣言」が解除されてまずはなにより。とは言っても「自粛」の期間中にあらゆることが様変わりし、「戻るべき日常」などもはや存在しないのがジッサイ。であるなら…

前に進むだけ!

…と頭を切り替えるしかないワケで、そのためにも進むべき方向をジックリと見据える必要があります。

 「新しい生活スタイル」が云々と政府は気安く言ってますが、「生活」とはワタシたちの現実に即した営みであって、政府にとやかく言われるスジあいはナッシング。現実的な営みの中で「なるようになる」し、「収まるトコロに収まる」だけ。

 それに加えて、世界的な規模での変化に直面しているワケですから、従来の「政治スタイル」も通用しなくなり、「新しい政治スタイル」に変わらなければならないのは誰の目にも明らか。

まずは政治家が手本を示せ!

…と。

 海外からは、「都市封鎖」といった措置を講じなかった日本が、「奇跡的」にも感染被害の拡大を抑え込んだことに驚きの声が上がっているようですが、ま、「原因不明」であるにせよ「結果オーライ」というコトで。それにベトナムなんて確か?感染者数0なワケですから、日本だけが特別視されるというのもナンかピントがヅラ…もといズレでいるような。

 それにしても今回のような国民の健康に関わる問題が発生した場合、本来であれば厚生労働省が担当するのが当然のように思うワケですが、なぜか経済産業省の大臣が陣頭指揮を執っている?のに少なからず違和感を覚える次第。

 なんか?「経済」重視でコトが運ばれているかのような…国民の「生命」は二の次であるかのような…そんな印象を受け正直、TVで顔を見るたびに不信感が…。

 ま、ワタシの勝手な思い込みであって、感染拡大の防止は政府の功績だと言う人もいるワケで、歳を重ねると「純粋」さが失われるようで、我ながら情けないっス…orz。
 

星野真里、つるの剛士投稿に「すごい」と感心も…首相へ「よくやったと言えない自分がいる」
デイリースポーツ 2020.05.27

 女優の星野真里が27日、TBS系「グッとラック!」で、タレントのつるの剛士がツイッターで安倍晋三首相へ「お疲れ様」を伝えようとつぶやいたことに、「つるのさんはすごい」と感激しつつも、星野自身は「まだよくやってくれたと言えない自分がいて…」と複雑な心境を明かした。
 番組ではアベノマスクに続き、医療現場に送られているアベノアルコール問題や、WHOが新型コロナについて「日本は成功例」などとしていることを取り上げた。

 その流れで、つるのが25日にツイッターに投稿した「国民の皆さんで安倍首相にお疲れ様、ご苦労様を言いませんか?」「政治家も皆様も同じ人間。人です」という文章も取り上げた。

 この投稿の感想を聞かれた星野は「まずは、これを出したつるのさんがすごい。なんて心がキラキラしてるんだろうなと」と感心。そして今回の新型コロナ対策について「国という単位がこんなにも大切と実感してて、今まで日本という国に守られてきたということも改めて思った」と国を意識したことも語った。

 だが「感謝もしたいし、ありがとうも言いたいが、『よくやってくれましたね』とまだ言えない自分がいて、どこかでソファに座っている安倍さんの姿を思い出してしまう自分がいて…」と星野自身はまだ心底安倍首相を労う気持ちにはなれないことを正直に打ち明けた。

 新型コロナとの戦いはまだ続いていることから「修正はできるので、これからという風に向かって行ってほしい」と、今後、感謝を伝えたくなるような対応をしてほしいと訴えていた。

 
 ひとつ言わせて貰うと、「国」に守られてきたのではなく、「国」の在り方を決めた「憲法」によって守られているのであって、その「憲法」は「国民」が自らの「主権」を宣言し確定したもの。つ・ま・り…

自分の身は自分で守る

…という覚悟のようなもの。
 

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。…
 
日本国憲法 前文より

 
 したがって「政府」が勝手に解釈を変更したり「改憲」を発議するだなんてトンデモナイ。「主権者」としては「公僕」である公務員=政治家に「憲法」を守らせ、自分たちの「生活」の安定を図るのは当然の行為であり、ただ口を開けて「国」の援助を待つのではなく…

「自分の権利」を主張して当然だ

…という話。
 

…そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。…
 
日本国憲法 前文より

 
 どういうワケか?「お上」とか「長いもの」には従順な国民性ではあるにせよ、状況が激変したこの期に及んでは「意識改革」無くしては各人の危機的状況を乗り越えるのは難しいでしょうし、その過程として「新しい政治スタイル」も当然の如く不可避w。

 具体的?には「東京オリンピック」の開催中止は避けられないでしょうし、「ソーシャルディスタンス」が定着すれば様々な業種で人員整理(失業者)が発生し、一方でそうした人たちの「受け皿」となる業種や産業も現れるでしょうし、社会全体の価値観が変わればボブ・ディランの唄のように…

今日は先頭だったものが、明日には最後尾になる

…というコトもフツーに起こり得るという話。
 

 
 ま、どのみち前に進むしかないワケですから、それなら「前進」するにしても少しでも世の中が(自分も含めて)良くなるようにと、「個人革命」=「自灯明的な生き方」を言い続けているワケですが、ジッサイ同じようなことは坂口安吾も既に書いていて、安吾「堕落」という表現を使っているので誤解を招き易いのですが、安吾に限らず伊丹万作G.オーウェルA.ル=グウィンなども同じような「テーマ」を扱っているというコトは…

人間の普遍性

…が存在するというコトの証なのかも知れませんw。

 安吾いわく「人の一生」なんて悠久の時間からすれば「儚い夢」のようなものであり、事実、今回の「新型コロナウィルス」という歴史的な出来事に直面し、「自分」という存在がいかに「儚い」ものなのかを痛感している人も少なくないハズ。

 「新しい生活スタイル」にしても、「自分」という「儚い」存在(実相)を前提にしたうえでスタートラインに立つしかないし、そこから自分の家族であったり大切な人が再び同じような目に遭わないようにと…

少しづつでも状況を良くしていくしかない

…と心得るしかありません。

 それが「蝶の羽ばたき」のように「儚い」試みだとしても、それを「やる」のと「やらない」のとでは状況は全く違ったものになるであろう事は、「カオス理論」からも明らかw。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!