情報の荒波を越えて

“あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。”

“それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためだ。”

マハトマ・ガンディー


 現代社会はあらゆる「情報」で満ち溢れ、「情報を制する者が社会を制する」といったトコロ。言い換えると…

「情報発信者」によって社会は左右されている

…というコトでもあります。

 そして、「情報発信者」の利害関係によって「情報」は交錯し、「情報受信者」=一般大衆としては必然的に「情報」の取捨選択を迫られるワケですが、そのさいに「権威」が選択の指標として一般的であるのは言うまでもありません(NHKなら信用できるとか…)。

エラい人は噓をつかないだろう

…という「性善説」=「暗黙の了解」に基づき、「専門家」であるとか「大手メディア」の発信する情報を無防備に受け入れているワケですが…

チョット待ったw!

 第二次世界大戦のさなか、「政府」や「大手メディア」の流す情報を無防備に受け入れておきながら、「敗戦」したら途端に…

騙されてました♪

…と、みんな揃ってテヘペロしたのはどこの国民でしたっけ?
 

 
 ま、ワタシが生まれる前の話だから、一億総テヘペロしたことを今さらアレコレ言うつもりはありませんが、亡き伊丹万作氏の言うように…
 
一度騙されたら、二度と騙されまい
 
…と、自分自身を奮い立たせるのが「進歩」というものでしょ?そして「次の世代」にもそれを伝えなければ、また同じ過ちを繰り返すだけで一向に前に進みません。よね?

 インターネット技術の一般化に伴い「個人」すら「情報発信者」となっている現代社会は、さながら「情報の荒波」にもまれているようなもの…とはいっても、「情報の濁流」になす術も無く押し流されるよりはまだマシかも知れません。荒波が逆巻く海原だろうと、進路を指し示す「指針」さえあればいつかは乗り越えられるから…。

 このことを学問的?には「メディアリテラシー」と呼ぶそうですが、「仏教」の分野でいうトコロの…
 
自灯明であれ
 
…と同じようなもので(個人的解釈)、2500年前の教えが現代の「情報化社会」においても通用することは、「仏教」=「真理」であることのひとつの査証ではなかろうかと?

 少なくともワタシの理解では、「仏教」は「宗教」というよりも「哲学」の分野に属し、「純粋理性」として学ぶことが多々あるワケですが、世俗化した「仏教」であっても心の拠り所として「人生の指針」となるのであれば、それはそれでアリだと思うし、きっとお釈迦さまもそれを「好し」とするハズ。

 ま、なにが言いたいかというと先ず第一に、「国家」や「権威」が噓をつくこともあるという現実。そして現代社会は「情報の荒波」にもまれているようなもので、ワタシたちひとりひとりはまるで「小舟」を浮かべているようなものだとしても、揺るぎない「指針」さえあれば=「自灯明」となって前に進めば、いずれ荒波も乗り越えられるだろうというコト。
 

 
 先の世界大戦で「騙された」と開き直り、かつ何度騙されても無頓着な旧世代(ワタシも)に多くを期待するの無理かも知れませんが、だからこそ若者たちには、使い古された言い回しでありますが…

「真実」を追い求めて欲しい

…と、切に願う次第。
 
 
 
 

人間ナメんなよ!

でわっ!