「ユダヤ人」はシオニズムによる発明 — 歴史の見方では妥協しません
『ユダヤ人の起源』
The Invention of the Jewish People
シュロモー・サンド Shlomo Sand:歴史家
朝日新聞グローブ (GLOBE) / 著者の窓辺 より
イスラエルは「ユダヤ人の国」であると規定されている。ユダヤ人とは預言者モーセ (モーゼ) に率いられてエジプトを脱出し、約束の地「カナン」に戻ったユダヤの民の子孫であり、ローマ帝国に反乱して追放され、世界に離散した民だと信じられている。しかし、イスラエルの歴史家 シュロモー・サンドさんは、「ユダヤ人という民族は存在しない」という。
シュロモー・サンド氏/川上 泰徳:撮影
川 上 |
過激な本ですね。 |
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サンド |
いえ、政治的には過激ではありません。私は「歴史分析」によって、「(現在の) ユダヤ人に、『聖書』のユダヤの民とつながる起源は無い」と、「ユダヤ人というアイデンティティー」を否定しました。
その点では過激です。 |
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ダビデの時代「王国」は存在せず、エルサレムは当時「小さな村」 |
川 上 |
『聖書』の記述は「事実ではない」と書かれていますね。 |
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サンド |
イスラエルでは普通の学校で、『聖書』の物語を「宗教」としてではなく「歴史」として教えます。モーセの「出エジプト」は紀元前 13世紀とされます。
しかし、「考古学」の発掘の結果、そのころのカナンはエジプトの支配下にあったことが判っています。「出エジプト」は無かったのです。私がそれを知ったのは 12年前です。「衝撃」でした。
考古学的発掘によって、ダビデやソロモンの時代とされる紀元前 10世紀に「強大な王国」が存在したという「証拠」は何 一つ出ていない。エルサレムは「小さな村」に過ぎなかったことがわかっています。 |
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川 上 |
ユダヤ人の追放も否定しています。 |
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サンド |
ユダヤ人は「ユダヤ人追放」を誰もが「事実」として信じています。しかし、それを記した「歴史書」は 一冊も無いのです。
「ユダヤ考古学」の研究者に質問しました。彼は「追放ではなく、破壊にともなう移民だ」というのです。しかし、「大量の難民」が出たことを示す記述は無いのです。
本のなかで、「追放の発明」として書きました。 |
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川 上 |
「パレスチナ人は、かつてユダヤの地にいた人々の子孫だ」と書かれていますね。 |
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サンド |
「シオニズム (19世紀以来のユダヤ人国家建設運動) 」の歴史家は、7世紀の「イスラムの征服」でユダヤ人は追放されたと唱えます。しかし、アラブ人がエルサレムのユダヤの民を追放した「証拠」はありません。
「ユダヤの地」にいた人々の多くは農民でした。農民は簡単には土地から離れられません。アラブ人 (イスラム教徒) はエルサレムを占領し、彼らの宗教を受け入れれば「税を免除」しました。多くの農民が受け入れたでしょう。
「追放は無かった」とすれば、ヨルダン川西岸にいる「ハマス」の活動家のほうが、私よりも「古代のユダヤの民」の子孫である可能性はずっと高いのです。 |
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川 上 |
イスラエルの「ユダヤ人」には受け入れられない主張でしょうね。 |
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サンド |
パレスチナにいるアラブ人は、「かつてのユダヤの民の子孫ではないか」と考えたのは、私が初めてではありません。「初期のシオニズム運動」の指導者たちも、同じように考えていたのです。
1948年の「イスラエル独立」で「初代首相」の ベングリオンは若い頃、「パレスチナのアラブ人はユダヤ人の血を継ぐ者たちだから、共に国を創ることができる」と書いています。
ところが彼は「独立宣言」では、イスラエルは「追放されたユダヤ人の国」と「規定」しました。「アラブ人と共に国を創る」という考えは排除 (却下) されたのです。 |
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『ユダヤ人の起源』
シュロモー・サンド著/高橋 武智:監訳
佐々木 康之/木村 高子:訳
(武田ランダムハウスジャパン 2010年)
小杉 豊和:撮影
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ロシアや東欧の「ユダヤ人」は、改宗ユダヤ教徒「ハザール」の子孫 |
川 上 |
世界にいる (散らばる) ユダヤ人についてはどうですか。 |
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サンド |
かつて「ユダヤ教」(『旧約聖書』) は積極的に布教する宗教でした。「追放」ではなく「改宗」によって、世界に「ユダヤ教徒」が増えたのです。
例えば「黒海」と「カスピ海」の間にできた「ハザール王国」は、8世紀から 9世紀にかけて「ユダヤ教」を「国の宗教」としました。
13世紀にモンゴルによって滅ぼされますが、ロシアや東欧に大勢の「ユダヤ教徒 (コーカソイド) 」がいることは、改宗ユダヤ教徒「ハザールの子孫」と考えるのが自然です。 |
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ハザール王国
川 上 |
「歴史学」だけでなく「聖書学」「考古学」まで、幅広い領域を含んでいますね。執筆には、どれほど時間がかかりましたか。 |
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サンド |
1年半ほどです。毎日大学で教えて、毎日、図書館から 30冊ほどの本を抱えて帰って、書き続けたのです。調べるほどに背中を押されるように「テーマ」は広がり、深まっていきました。
私が「何か新しいこと」を発見したわけではありません。「すでにある材料」を集めて、「秩序立てて」考えたのです。 |
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川 上 |
イスラエルで「19週連続でベストセラー」になったそうですね。 |
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サンド |
予想していませんでした。テレビやラジオ番組に次々と招かれ、新聞や雑誌でも「好意的」に取り上げられました。
もちろん「反発」も強く、「死を宣告」するような手紙もあります。「ナチ」とか「反ユダヤ主義者」「国の敵」など、様々に「攻撃」する電話もかかってきます。 |
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川 上 |
「自身のアイデンティティー」は? |
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サンド |
若い頃は「左派」で「反シオニズム」の立場でした。しかし、今は「左派」ではなく「穏健派」です。つまり、イスラエルの存在を認める「ポスト・シオニズム」の立場です。
「左派」は「パレスチナ難民」のイスラエルへの「帰還」を認めて、「ユダヤ人もパレスチナ人も 一つの国で共存するべきだ」と考えます。その考え方は「道徳的」には間違っているとは思いませんが、「政治的」にはイスラエルの存在を「否定」することになり、決して「実現」しないでしょう。
私は「歴史の見方」では妥協しませんが、「政治的」には妥協したのです。 |
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川 上 |
「イスラエルの将来」を、どのように見ていますか。 |
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サンド |
「シオニズム」は「ユダヤ人国家」を「正当化」するために、『聖書』につながる民族の「起源」として、「ユダヤ人」を創り出しました。
私はイスラエルの存在を「シオニズム」のように、「過去」によって「正当化」するのではなく、この国が「民主国家」に生まれ変わるという将来によって、「正当化」するべきだという立場です。
イスラエルは「ユダヤ人国家」として存続することはできません。「国民」として生きるアラブ人 (ガザ地区住民/ヨルダン川西岸地区住民) にも「平等の権利」を与えねばなりません。 |
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(聞き手:中東駐在編集委員/川上 泰徳)
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シュロモー・サンド
テルアビブ大学歴史学教授
1946年、オーストリアの難民キャンプで生まれる。48年、2歳で両親と共にイスラエルに移住し、テルアビブ大学で歴史を専攻。84年からテルアビブ大学で「現代ヨーロッパ史」を教える。著書に『スクリーンに見る 20世紀』『言葉と土地 — イスラエルの知識人』。